大阪地方裁判所 昭和31年(ヨ)1746号 判決 1963年4月05日
申請人 前田晁一
被申請人 利昌工業株式会社
主文
被申請人は本案判決が確定するに至るまで申請人を被申請人の従業員として取扱い、且つ申請人に対し昭和三一年五月一五日以降一カ月金二千五百八十円の割合による金員を毎月一〇日限りその三分の一、二五日限りその三分の二宛仮に支払え。
申請人のその余の仮処分申請を却下する。
訴訟費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
第一、申請人の主張
申請人訴訟代理人は、主文第一項前段と同旨、かつ申請人に対し昭和三一年五月一五日以降一カ月金八千六百円の割合による金員を毎月一〇日限りその三分の一、二五日限りその三分の二宛仮に支払えとの判決を求め、申請理由として次の通り述べた。
一、被申請人は電気絶縁材料等の製造販売業を営む株式会社でその従業員は約百九十名であり、申請人は昭和二九年六月以降被申請人会社(以下単に会社という)に雇傭され、その肩書本店営業部販売課或は尼崎市上坂部字森前七百三十三番地にある会社塚口工場等で主として外勤事務に従事して来たもので、又会社の従業員をもつて組織する利昌工業労働組合(以下単に労組という)の組合員であるところ、会社は昭和三一年五月一四日会社就業規則第三十八条第三号(他人に暴行、脅迫を加え、又はその業務を妨害した者には情状により出勤停止、又は懲戒解雇を行う)に基き、申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなした。而してその具体的内容は、右労組は昭和三〇年七月二七日右工場に於て、次いで同年八月二日右本店に於て一三%ベースアップ分の公正配分、夏季手当基準賃金の二、五カ月分支給等の要求を掲げてストライキに突入したが、(後記同年五月二三日よりのストライキを第一次ストライキというのに対し、このストライキを以下第二次ストライキという)同月四日本店門前で張つたピケラインに於て申請人が会社従業員太田忠夫に暴行を加えたということである。
二、然し乍ら右解雇は左の諸理由により無効である。
(一) 就業規則は平常時の経営秩序維持のためのものであるから本件の如き争議中の行為については全面的にその適用なきものである。
(二) 仮に争議中の行為につき就業規則の適用があるとしても、昭和三〇年一〇月二三日争議解決に当り、労使双方は一切の告訴提訴を取り下げることを協定し、附帯的に当事者双方は争議中の行為についてそれぞれ責任の追及をしないことを約しながら、その二日後の同月二五日天満労働基準監督署に申請人の解雇につき予告手当除外申請を行い、本件懲戒解雇をしたものであるから、本件解雇は無効である。
(三) 仮に、そうでないとしても、被申請人主張の申請人の右暴行々為は就業規則第三十八条第三号の懲戒事由とはならない。会社のいう、申請人の右暴行々為は次の如き事情経過に於て発生したものである。
(1) (イ) 昭和三十年四月労組結成当時大阪毎日新聞が会社の労働条件は前近代的で近江絹糸以上の人権問題である旨の報道をしたことがあつたが、会社はこれを労組幹部の責任であるとし、その頃全従業員を集め、新聞記事は出鱈目である。間違つた指導者についてゆくことは失業を意味する旨告げて不当解雇の意図を公然と予告し、更に全従業員を二名宛呼出して労組から離れて会社の方針に従うことを要求し、又労組員宅を訪ねて右新聞記事の情報提供者の責任を追求する旨の文書の提出を求める等露骨な組合に対する支配介入行動を行つた。
(ロ) 申請人は右労組結成には大いに尽力し、その後も労組の中心となつて組合活動に専念して来たが、労組結成当時塚口工場事務所工程係として工程事務に従事していたところ、会社は労組結成後間もなく申請人に対し事実上仕事を与えず、手持無沙汰の状態に追い込んで圧迫を加え、不利益扱をした。
(ハ) 会社は同年五月突如申請人を含む組合活動家一三名に対し何れも不利益な配置転換を指示し、労組がその不当労働行為であることを指摘してこれを拒否したところ、同月二三日そのうち申請人及び労組副組合長小川雄三、同書記長深見幸男に対し業務命令違反と称して懲戒解雇の通告をなした。然し結局同日より七日間のストライキ(以下第一次ストライキという)後会社は右解雇を取消したが、申請人は本店営業部販売課に配置転換させられた。
(ニ) 同年六月には会社は労組幹部を誹謗し労組を切崩すための葉書を労組員に配布し、公然と組合の団結権侵害行為を行つた。
(2) かかる会社の労組乃至申請人等組合活動家に対する圧迫の中に於て、同年六月三〇日労組は一三パーセントベースアップ分の公正配分、夏季手当基準賃金の二、五カ月分支給等の要求を掲げて団体交渉に入つたが、会社に互譲の気持なく、却つて組合切崩しをのみ策しているので、労組は已むなく右要求貫徹のため、前述の如く、先ず同年七月二七日塚口工場に於て、続いて八月二日本店に於て第二次ストライキに突入したが、会社は谷本組と称する暴力団を使用して労組が本店門前に張つたピケラインの破壊団結権の侵害をのみ目的とする行為を繰返えし、同月四日には労組が再度暴力団によるピケラインの侵害を虞れて比較的重深なピケラインを張つた際、太田忠夫等労組外の従業員が組合の団結権、争議権侵害の目的で、会社構内の草取りをすると称し、会社利益代表者の形式的なスクラム解除要求があつた後、労組側説得の機会もないまま一挙に有無をいわさず集団的にピケラインに突入し、而も右太田がピケ中の労組員を殴打したのでピケ隊長としてピケラインの後部にいた申請人が同人を突くようにして殴つたのである。
従つて、申請人の右暴行々為は太田の右暴行を中止させ団結権及びそれに基く説得権を実質的に確保するため、換言すれば太田の違法行為を排除するためなされたものであつて、これは権利侵害行為に対する防衛行為というべきものであるから懲戒事由には該らない。
(四) 仮に右主張が理由がないとしても、申請人の右暴行々為は懲戒解雇には値しない。懲戒解雇は企業体の経営秩序を維持し、その業務遂行を正常円滑ならしめるにつき障害となる行為がありそれが労使間の信頼関係を破綻せしめ、健全な法感情上解雇されることが当然であると思料されるような場合に限られるところ、本件に於ては申請人は会社側の右スト破り的行為を阻止すべく組合員として更にピケッテイングの責任者として当然なすべき義務を履行していたものでたまたまピケラインに突入して来た右太田との間に多少の混乱が生じたとしてもそれは本来ストライキ中のことであり且つ偶発的、瞬間的に生起したものであつて、会社の正常時に於ける業務運営を阻害したものではなく、使用者の主観的感情はともあれ、会社と申請人間の信頼関係を破綻せしめるような重大な事柄ではないのであるから、申請人の右暴行々為は懲戒解雇には値しないものである。
(五) 本件解雇は申請人の右暴行々為に藉口して申請人の平素の活発な組合活動を理由として行われた不当労働行為である。即ち申請人は
(1) 昭和三〇年四月会社の呈示した就業規則の改訂案が著しく労働条件を悪くするものであるところから労働組合結成の必要を感じ、組合結成準備会の結成及び組合結成の中心となつて活動した。
(2) 同月労組結成後は主として組合の教育宣伝活動面を担当し、常に組合員全体の先頭に立ち組合の指導的立場にあつた。
(3) 前記同年六月三十日以降の争議に際しては最高闘争委員に選出され、特に本店における組合活動の中核となり、第二次ストライキ中は行動隊長、ピケ隊長の地位にあつた。
(4) 本店における労組の中核であつた申請人が同年七月伯父の急死で三日間帰省していた間本店労組員は殆んど会社の策謀により労組から離脱したが、申請人が帰社後説得した事により右組合離脱者中六名が労組に復帰した。
等々常に積極的に組合活動を行つて来たものであるが会社はかかる申請人の活発な組合活動を嫌い、殊に右(3)(4)の如き組合活動をみるに及んで遂に申請人の不当解雇を決意し、些細な申請人の右暴行々為を捉え、争議中の行為については相互に責任の追求をしないことを約し乍らなした本件解雇は申請人の正当な組合活動を理由とするものであり、このことは前記(二)の如き会社の一貫した労組えの支配介入、申請人等組合活動家に対する不利益取扱或は右争議中において労組外の従業員であつて労組員に対し暴行を加え、傷害を負わした数名については何等の懲戒処分にも付さず、申請人のみをその暴力行為を理由として解雇したこと、更には昭和三〇年七月会社の工作で利昌工業従業員組合(以下単に従組という)が結成されたが会社は労組の活動家である申請人前記深見幸男、小川雄三、或は田中武三等に対しては懲戒解雇、不利益な配置転換、格下げ等を以つて遇し乍ら、一方右従組の活動家宮坂直一、北山忠義、加藤某等に対してはこれを格上げして優遇し、差別待遇をしている点等からみて明らかで、申請人の右暴行々為は本件解雇の偽装理由に過ぎず、本件解雇の不当労働行為であることは更に多言を要しない。
(六) 本件解雇は上叙の事情に照してみるとき、懲戒解雇権の乱用である。
三、以上何れの点よりするも本件解雇は無効のものであり申請人は依然として会社の従業員たる地位を保有し、会社に対し月金八千六百円、毎月一〇日その三分の一、二五日その三分の二宛支払の賃金請求権を有するところ、申請人は定職とてなく日々の生活が脅威にさらされ、更に申請人の団結権をも侵害されているのであつて、本案判決をまつときは回復し難い損害を蒙るのでその損害を避けるため申請の趣旨の如き仮処分決定を早急に得る必要がある。仍つて本件申請に及んだものである。
四、被申請人の本件仮処分申請はその必要性がないとの主張に対し、申請人が独身であること、申請人が本件解雇後繊維製品の販売業を営む兄前田亮一の許で暫く働いていたこと、その後松戸市所在の丸幸百貨店に勤務するようになつたことは認めるがその余の事実は否認する。申請人は本件解雇当初は失業保険、並びに組合員のカンパにより一応の生活を確保し、社会にあつて主として関西化学産業労働組合会で組合活動を続けて来たが、その後生活難のため已むなく兄前田亮一の繊維製品販売業の手伝をしたり、或は兄の友人越智幸郎の経営する右丸幸百貨店で繁忙時、一時的にその手伝をしたりして生活資金を確保し乍ら化学同盟で組合活動をなし、暫定的な措置を講じて来たものである。
第二被申請人の主張
被申請人訴訟代理人は申請人の申請を却下するとの判決を求め、次の通り答弁した。
一、申請人主張の一、記載の事実は認める。なお組合関係は労組が組合員約四八名で、従組は約九一名であり本店のみについてこれをいえば、従業員四三名中労組員は約一名、従組員は約三二名である。
二 (一) 申請人主張の二、の(二)に対し、会社が昭和三〇年一〇月二三日兵庫県地労委会長の職権斡旋案に対して労使双方が受諾して長期ストが妥結したこと、被申請人が申請人主張のごとく解雇予告除外認定の申請をしたことは認める。しかし、労使双方の受諾した斡旋案の第六項にいう「係争中の事件は双方之を取下げる」の中に申請人の暴行事件は該当しない。被害者太田忠夫の告訴にかかる申請人の暴行事件は都島簡易裁判所より同年九月一二日略式命令をもつて暴行罪により罰金五千円に処せられ、同略式命令は同年一〇月一五日確定していたものである。この点に関する申請人のその他の主張事実は否認する。
(二) 申請人主張の二の(三)、(四)の就業規則の適用に関する主張について、
(1) (イ) 右二の(三)、(1)の(イ)について、
大阪毎日新聞紙上に申請人主張の如き記事が掲載されたことは認めるが、これは会社が予てより伊丹労働基準監督署より就業規則の一部改正について勧告を受けていたので昭和三〇年四月その成案をえて労働者代表に意見を徴したところ、労組幹部の一部が事実内容を充分調査することなく且つ会社に対して一回の照会もしないで突如右記事を右新聞に提供したものであつて右記載内容は事実を遙かに逸脱しており、かかる殊更に会社の名誉、信用を毀損するような行為に対し会社がその責任を追求し、従業員一般に対して真実の周知徹底を計り、その不安動揺を防止することは当然の措置である。然し会社が申請人のいう如き従業員に対し労組から離れ会社の方針に従うことを要求したり、労組員宅を訪ねて右記事提供者の責任を追求する旨の文書の提出を求めたり、その他労組に対し支配介入行為をなしたようなことは全くない。
(ロ) 同前(ロ)について、
申請人は労組結成当時塚口工場事務所工程係勤務を命ぜられていたが、業務に対する熱意に欠け、遅刻が多く、職場離脱が甚だしく、工程事務遂行上支障大であつた。申請人は会社は事実上仕事を与えないで圧迫を加えたというが、事実は会社が仕事を与えなかつたのではなく申請人が職務執行に怠慢であつたので已むをえず同僚係員が代行し、辛うじて事務を続けたのが実情である。
(ハ) 同前(ハ)について、
申請人等に配置転換を命じたこと、申請人等三名がこれに応じないので業務命令違反として解雇したこと、七日間のストライキ後会社が右解雇を取消したこと、その後申請人を本店に配置転換したことは何れも認めるが、その間の事情は次の通りであつて申請人等に対し何等不利益扱をしたものではない。即ち会社は昭和三〇年六月一日より名古屋出張所を開設することとなり、本店営業販売課員藤井一男、同尾上忠司の二名を転勤させるため、これが補充をも含めて十名の配置転換を行つたが、販売にも経験があり、通勤にも便利な申請人を塚口工場より右販売課へ転勤を命じたが、申請人は何等の理由もなく辞令を突返し、又小川雄三は労組々合長野村春一の隣席に配置し、会社業務と共に組合活動の双方連絡に便宜ならしめ、又深見幸男は営業政策上研究部門より製造部門に配置転換を行つたのに何れもこれを拒否し、右小川の如き申請人、深見と共に施錠を破壊して元の職場に復帰し、他の大部分の移動を完了した者に対しても圧力を加えて全員これに服さしめるという悪質な就業規則違反行為を行つた。
会社はその間条理を尽して繰返し説得したが肯かないので已むをえず申請人等三名を解雇した。ところが、労組は右解雇撤回等を掲げて同年五月二三日より第一次ストライキに突入したが同月二十九日兵庫県地方労働委員会の斡旋により会社は全面的に譲歩してその斡旋案を受諾しその定むるところに従い右解雇を取消し、且つは申請人を右販売課へ配置転換した。
(ニ) 同前(ニ)について、
葉書を従業員に出したことは認めるが、これは当時一般従業員より争議中の就労問題、給与問題、その他色々の問合があつたので会社としても回答文書を掲示してこれが周知徹底方を計つたが、同年六月頃より労組は一切の会社掲示文書を無断で破棄する行為に出たので已むをえず葉書をもつてこれに替えたのであつて、組合の団結権侵害等を行つたことはない。
(2) 申請人主張の二の(三)(2)について
谷本組が暴力団であること、谷本組がピケラインの破壊、団結権の侵害のみを目的とする行為を繰返したこと、太田忠夫等労組外の従組員が労組の団結権、争議権侵害の目的で会社構内の草取をすると称し、会社利益代表者の形式的スクラム解除要求のあつた後労組側説得の機会もないまま一挙に集団的にピケラインに突入したこと、右太田がピケ中の労組員を殴打したこと、申請人は単に突くようにして右太田を殴つたに過ぎないということは何れも否認するがその余の事実は認める。谷本組は大阪府知事認可建築登録業者であつて暴力団ではなく、会社の建築工事を請負い、既に七年余出入するものである。同組は同年八月二日午前十一時頃建築用材木を会社内に搬入しようとしたが、これに対し労組は難癖をつけて容易に入場させず、事情を説明して漸く入ることが出来た。而して翌三日も午前八時頃前日同様建築材料の搬入をしようとしたが、ピケ隊は実力をもつてこれを阻止したので已むなく会社は建築作業を中止するとともに谷本組の入場を断つた。又右太田はもともと塚本工場に勤務していたが、同工場がストライキに突入後は業務命令によつて本店のストライキ突入前から倉庫業務に就いていたものであつて前記同月四日当日も該業務のため入場しようとしていたのである。次に申請人は会社側は労組の団結権、争議権を侵害したと強調するが、むしろ労組乃至は申請人こそ違法、不当の行為をなしたものであつて、そのことは次に述べる本件争議の実情よりして明白である。而して申請人の暴行々為なるものは右の如く太田が倉庫業務のため入場しようとしてスクラムに割つて入つたところを拳闘の要領で鉄拳をもつて数回にわたり同人の頭、胸、肩等を殴打し、肋骨々折全治二週間の傷害を負わしたものである。なお、申請人は日頃拳闘の習練をなし、平素より粗暴の振舞多く、同僚との折合も不良で、上司に対しても事毎に反抗的な態度をとつていたのであつて、本件暴行々為も偶発的、瞬間的になされたものとはいいえない。本件解雇は実にかかる申請人の素行不良と暴行々為を理由とするものなのであつて、従つて就業規則の適用に於て何等の誤なく、又本件解雇が解雇権の乱用に該らぬことは論を俟たない。
(二) 申請人主張の二の(五)不当労働行為について、
申請人主張の二の(五)(3)の事実、及び会社が労働基準監着署長に申請人の解雇につき予告手当除外認定申請をしたことは何れも認めるが、その余の事実は全部争う。申請人は昭和三〇年一〇月二三日争議解決に当り労使双方は一切の告訴、提訴を取下げることを協定し、附帯的に争議中の行為については相互に責任の追求しないことを約したというが、かかる協定は一切なかつた。尤も前述の如く本件争議は兵庫県地方労働委員会会長の職権斡旋案を労使双方受諾して解決をみたのであるが、該斡旋案の第六項には係争中の事件は双方これを取下げるとあるところ、申請人の本件暴行々為は係争中の事件には該らないものである。又労組員外の従業員の暴行事件についてはこれを不問に付し何等の懲戒処分にも付さなかつたと主張するが、会社は労組員、従組員、或は非組合員の別なく事実の存否を調査し、情状により公平、妥当な処置をとつているものであつて、例えば従業員の奥田安治、同瀬斎宏(何れも労組員)は昭和三一年三月五日午後三時頃ランバー素材工場に於て双方とも職場を離脱して喧嘩し、右奥田が作業用削庖丁で右瀬斎に傷害を負わしたので同月一四日付で右奥田を懲戒解雇に、瀬斎を出勤停止に、更に従組幹部の職長三木忠右衛門に対しては監督不行届の故をもつて譴責処分に付しているのである。本件解雇理由は先に縷述した通りであつて決して申請人の組合活動を理由にしたものではないから到底不当労働行為にはならない。
(三) 申請人主張の二の(六)の主張事実を争う。
三、申請人は本件に於て賃金の支払を命ずる断行の仮処分を申請するものであるが、元来かかる仮処分は仮処分の目的と範囲を逸脱するもので許容されないものである。
(一) 本件は地位保全の仮処分であるが、本件に於て地位の保全とは申請人をして一応解雇前の状態、即ち解雇されなかつたときの状態におくことである。然し申請人が解雇されていない場合を考えるとこの場合申請人は賃金の支払について会社に対し強制権を有しているであろうか。会社の賃金不払に対し申請人が強制取立権を有していないことは一般従業員の場合と同様である。然るに解雇されたからといつて解雇前に有していなかつた強制権、即ち過去、及び将来にわたる賃金債権(将来発生することあるべき賃金債権)に対してまでも何等の限界を定めることなく無条件、無制限に支払を命ずる仮処分が許されならば、それは本来存すべき被保全権利を遙かに飛躍超越した強力な権利を仮処分手続に於て申請人に与えることになる。
(二) 又申請人の満足を目的とする仮処分、即ち申請人が本訴に於て勝訴した場合と同様の結果をもたらす仮処分が果して許されるか否かは大いに議論の存するところであるが、本件の如く賃金の支払を命ずる仮処分は執行された後に本訴に於て若し会社が勝訴判決を受けた場合、仮処分によつて会社が支払つた賃金は申請人の無資力なる故をもつて当然に回復不能となること自明である。本件はこの原状回復が不能であることを前提とした仮処分申請であつて、仮処分手続の仮定性暫定性からいつても本件は仮処分の目的と範囲を逸脱した不法の申請である。
四、本件断行仮処分申請はその必要性がない。労働事件に於て賃金の支払を命ずる仮処分を仮に是認する立場からいつても、それは究極に於て申請人の生存権に関する緊急保護の必要上例外的に已むをえず是認せぎるをえないという実際上の考慮からである。従つてかかる仮処分に於ては仮処分の必要性が著しく厳格に解釈されねばならないことは当然であり、又実際問題としてもその必要性が是認された場合は甚だ稀である。それは他面本件の如き労働事件に於ては一般の仮処分と異り申請人に対し十分の保証金を供託させることが出来ず、全く会社に対し一方的な犠牲を強いる結果となる点からいつても当然である。而して本件では申請人は独身であり、会社を解雇退職後実兄前田亮一と繊維製品の販売業を営み、相当の利益金を挙げ、更にその後松戸市の九幸百貨店に勤務し、住込三食付にて月収金八千円から一万円程度の確実な収入をえて現在に至つているのであつて、本件仮処分によつて申請人を緊急保護しなければならない差迫つた事情は全然存在せず、むしろ幸にも申請人は会社に勤務していた時代よりも遙かに経済的に安定した恵まれた生活を営んでいるのが真相である。故に本件に於ては断行仮処分申請の必要性は全然存しない。
第三、疏明関係<省略>
理由
一、被申請人は電気絶縁材料等の製造販売業を営む株式会社で、従業員は約百九十名であり、申請人は昭和二九年六月以降会社に雇傭され、その肩書本店営業部販売課、或は尼崎市上坂部字森前七百三十三番地の会社塚口工場等で主として外勤事務に従事して来たこと、申請人は会社の従業員をもつて組織する利昌工業労働組合の組合員であつたこと、会社は昭和三一年五月一四日会社就業規則第三八条第三号(他人に暴行、脅迫を加え、又はその事務を妨害した者には情状により出勤停止、又は懲戒解雇を行う)に基き申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなしたこと、申請人が組合のストライキ中の昭和三〇年八月四日、会社の本店正門附近に張つたピケラインにおいて会社従業員太田忠夫に対し暴行を加えたことは何れも当事者間に争いがない。
二 (一) 申請人は先ず就業規則は労働関係の平和時の規定であるから本件の如き争議中の事件には適用しえないと主張する。成程就業規則中平常時の労働力の指揮掌握に関する部分は争議中の組合員である会社従業員に適用できないにしても、それは労働力の提供に関して会社の指揮をはなれるからに過ぎないからであり、会社の従業員は、争議中といえども、労働力の提供拒否の面をのぞいては、やはり会社の従業員たる地位を失わず、その限りにおいては、会社の統制下にあるものといわなければならないのであり、殊に本件の如き暴行々為でさえもそれが只単に争議中に生じたものであるが故にこれに対し就業規則を適用しえないとなす何等の理由も見出しえないから、右主張は採用することが出来ない。
(二) 次に、申請人は、昭和三〇年一〇月二三日争議解決に当り、労使間に争議中の行為については、相互に責任を追及しない旨の協定が成立したと主張するので、この点について検討する。成立に争いのない乙第二号証の一、二、第十一、第十四号証、乙第八、第九号証の一部、官署作成部分の成立は争なく、その他の部分については弁論の全趣旨により成立の認められる乙第三号証、証人深見幸男、同中角宇三郎(一部)、同利倉洋晄(一部)の各証言、申請人本人訊問の結果を綜合すれば、「労組は、昭和三〇年五月二三日より同月二九日までの第一次ストライキに次いで、ベースアップ分の配分、基準賃金の二・五ケ月分の夏季手当等の要求につき、同年六月七日から数次に亘り労使間に団体交渉を行つたが、解決をみるに至らなかつた。そこで労組は同年七月一三日より同月一六日まで連日工場に於て時限ストライキ、部分ストライキを繰返えした上、同月一六日には以上の件につき兵庫県地方労働委員会に斡旋を申請した。これに対し会社はその頃労組の幹部を除いた全従業員に矢継早に葉書を発送して労組指導者を誹謗し、労組指導者につくことは失業を意味するものの如く示唆し、次いで希望退職者を募る、一定数に達しないときは指名解雇する旨の人員整理の掲示を出し、同月一八日には人員整理の件を加えて右地方労働委員会に斡旋を申請するとともに労組に対しては人員整理の問題が片附かねば他の問題の解決には応じえないとの態度を固持するに至つた。労組は会社が右人員整理の問題を事前に団体交渉の場で協議することなしに突如として発表し、而も争議の続発による経営不振をその理由としていることに憤激し、かかる会社の態度は従来の懸案事項の解決の遷延策に外ならないとして、右人員整理反対、ベースアップ分の公正配分、二・五ケ月分の夏季手当支給等の要求貫徹のため工場に於ては同月二七日正午より、本店に於ては同年八月二日午前九時より第二次ストライキに突入するに至つた。」
本店に於ける争議の状況
前記の如く労組は八月二日本店に於てもストライキに入るとともに工場勤務の労組員より随時応援隊を繰出し、総評及び傘下組合等の支援をえて会社の出入口の正門大戸を閉じてかんぬきを掛け、(同月四日以降にはかんぬきを繩で縛り、開門出来ぬようにした。)又正門大戸の横、幅約三尺の通用門はこれを開けてはいたが正門の内外にピケラインを張り、入場者の次第によつては会社構内に待機中のピケ隊員を要所に随時集中強化する態勢を整えた。同月二日午前九時頃会社幹部、従組員、非組合員等が就労のため入場方を交渉したがピケ隊に阻止され、その後塀修理のためやつて来た谷本組のトラックを通すためピケ隊が正門大戸を開け、同トラックが門の途中で停車した機を捉えてピケラインの強行突破を計つたが幾重ものスクラムによつて阻止され、一部入場した者もピケ隊のため追出された。同日午後三時頃に至つて漸く会社幹部六名のみ入場し、うち二名は宿直した。同月三日にも前日同様従組員、非組合員等が会社役員とともに正門前に集合し、取締役工場副長(現工場長)利倉洋晄からピケ隊に入場方交渉があつたが容易に入場出来なかつた。交渉中午前九時三十分頃ピケ隊の隙に乗じ、入場中の右会社幹部が内より正門を開き、会社幹部、従組員、非組合員等が雪崩込んだところ、ピケ隊は直ちに事務所入口、並びに食堂附近にピケラインを張つて入室を拒み、随所に押合、揉合が起き、そのため漸くにして会社幹部、従組員、非組合員等は入室することが出来た。やがて会社幹部三名その他十二名を残して他は引揚げたが、この十五名の殆んどが同月二八日まで所謂籠城を続けた。翌同月四日午前九時三〇分頃会社役員、幹部、従組員、非組合員等十二、三名が執務のため入場しようとし、妹尾製造部長がピケ隊に対し会社の敷地から退去するようにとの趣旨を書いた紙を掲げ、且つ口頭でも退去を要求したが、聞入れられないので数十人で三、六重のスクラムを組んでいるピケ隊の中に押して入つたが、非組合員太田忠夫もスクラムを組んでいる隊員の肩と肩との間に体を入れ、一列目のスクラムを破り、二列目も破つて更に押して入ろうとしたところ、スクラムの後方にいてピケ隊長として隊員を指揮していた申請人が同人の頭部を数回殴つてこれを阻止したため同人は入場を断念してスクラム外に出たが、他の者も皆ピケラインを突破出来ず、結局は入場不可能となつた。同月五日も従組員、非組合員等は就労のため入場しようとしたが、前同様これを阻止された。このように強固なピケラインはその後も引続き張られ、労組は前記籠城者の入浴、食事、その他已むをえない用務のための出入、団体交渉のための会社役員、幹部の出入の外は従組員、非組合員等は勿論、会社の役員、幹部と雖も執務のための入場は阻止し、これを押して敢てピケラインを通過しようとするときは両者の間に乱斗騒が起ることも懸念されたので会社側としても同月五日以後は極力ピケ隊との摩擦を避けることに努めた。なお前記籠城組は会社が同月二十八日工場の閉鎖を断行したのに対抗して労組側の妨害行為が益々尖鋭化して来ることを虞れ、同日午前九時過頃退出するに至つた。又労組は拡声器を事務所入口の天窓敷居に設置し、正門附近のマイクより労働歌、笛、その他不調和音等を連続放送し、この放送は同月三日、五日、六日、及び十六日以降二十一日まで何回となく繰返され、これが始まると事務所内は喧騒を極め、籠城組の者は皆耳に紙や布を詰めて辛棒し、通話することも出来ない状態を現出した。而も同月八日には労組より籠城中の会社幹部に対し事務所電話の使用制限を申入れ、翌九日より労組側は電話係数名を経理部長席、販売第一課長席等に配置して九本の電話を監視させ九日には外部からの電話は取次ぐが、内部からの電話はかけさせないと通信を制限し、会社側の者が必要に迫られ電話係に懇願して通話する際には電話係に対し相手方、用件を告げ、その了解を受けなければならず、外部よりの電話は先ず電話係が受話機をとり、その用件を聞いた上で取次ぐ仕末であつた。殊に同月十一日、十八日から二十一日までの間、及び二十八日朝は電話全部が労組の管理下に置かれ、全面的に架電、取次が拒否され、会社側は電話による外部との連絡を遮断されたため本店の機能は殆んど完全に痳痺状態に陥つた。かくて同年九月三日会社の仮処分申請により大阪地方裁判所から「労組は会社役員、労組員以外の会社従業員、及び会社と商取引関係に立つ第三者が本店に出入し、又は物品を搬出入することを実力をもつて妨げてはならない。但し右の禁止は言論による説得、並びに団結による示威に及ぶものではない。労組は本店事務所内に立入つたり、喧騒音を放送する等の行為により会社の事務所に対する占有、使用を妨害してはならない」旨の仮処分命令が出されるに至つた。かかる争議最中同年八月六日には前記地方労働委員会より労使双方に斡旋案が提示されたが、労組の拒否するところとなり、同年九月十一日該斡旋は打切られた。然し同年十月十七日情勢は暫時も猶予を許さぬ状態となつたので、右地方労働委員会々長から職権斡旋案の提示があり、同月二十三日に至つて労使双方はこれを受諾し、ここに漸く長期ストライキも妥結解決をみることとなつたものである。(右妥結の点は争がない。)而して右斡旋案第六項には「今次争議に関連して係争中の事件はすべて双方速かにこれを取下げること」とあつた。ところで、上叙第二次ストライキに際して、前記八月四日、申請人が会社正門前のピケラインにおいて太田忠夫を殴打した事件については、同人の告訴により警察沙汰となり、暴行の廉で起訴せられ、申請人は都島簡易裁判所より同年九月一二日暴行罪により罰金五千円の略式命令を受けていたが労使双方の受諾した右斡旋案第六項中には、右ストライキに関連して派生したところの、申請人の右暴行事件ならびにこれを原因とする将来の解雇問題もふくまれていたのであつて、会社側もその点を諒解していたものである。
もつとも、前記乙第二号証の一、二によれば、申請人に対する前記略式命令は、昭和三〇年一〇月一五日当時確定していたことが認められるけれども、申請人の右刑事処分が確定したことから、申請人に対する解雇問題を特に右妥結条項より除外した形跡は認められない。さらに、会社が同月二十五日天満労働基準監督署長に申請人の解雇につき予告手当除外認定申請を行つたことは、当事者間に争ないけれども、証人中角宇三郎の証言によれば、右は申請人に対する刑事処分の確定していることを単に根拠とするものであるところ、前記妥結当時において、申請人の右暴行事件を除外した形跡が認められないから、右除外認定申請の事実は未だ上叙の認定を妨げるものではない。証人中角宇三郎、利倉洋晄の証言中以上の認定に反する部分は上叙の証拠に対比して信用し難く、他に上叙認定をくつがえす疎明はない。そうすると、会社は右斡旋案受諾により、申請人に対して前記暴行を理由として、解雇しえないものと解するのが相当である。
三、その他、申請人を懲戒解雇に付し得るような素行不良の点については、本件の全疎明を以てしてもこれを認めるに足りない。そうすると、申請人に対する本件懲戒解雇は、その他の点について判断するまでもなく無効であり、申請人は、なお会社従業員たる地位を保有し、会社に対し賃金請求権を有するものである。その賃金の額は申請人の主張によれば、平均賃金月額八千六百円であり、又支払期日は毎月十日にその三分の一、二十五日にその三分の二であるがこれは会社に於て明らかに争わないところであるから、申請人は本件解雇の日の翌日である昭和三十年五月十五日以降右割合による賃金月額を毎月十日その三分の一、二十五日その三分の二宛請求しうるものである。
四、仮処分の必要性について。会社は申請人は本件に於て会社に対し賃金の支払を命ずる仮処分を申請しているが、かかる仮処分は仮処分の目的と範囲を逸脱していると主張する。しかし、無効な解雇によつて生活不安にさらされる労働者が仮処分によつて賃金の仮払を求め得ることは、民事訴訟法の認めるところであり、さらに、仮処分によつて給付を命じられた賃金の原状回復不能のみにとらわれて、無効な解雇によつて事実上回復し難い損害を労働者が被むることのあることを看過することは、許されない。したがつて、これに反する被申請人の所論はいずれも理由がない。ところで、申請人が独身であること、申請人が本件解雇後兄前田亮一の許で暫く働いていたこと、その後松戸市の丸幸百貨店に勤務するようになつたことは当事者間に争いがなく、又申請人が現在も右百貨店に住込で勤務し、三食付月収金八千円程度の収入をえていることは真正に成立したと認める乙第十七号証により疏明せられる。甲第五号証、及び申請人本人訊問の結果中右認定に反する部分は措信し難い。右事情その他本件における諸般の事情を綜合すれば当裁判所は、申請人に対し平均賃金月額の三〇パーセントの限度において仮処分の申請を許容するのを相当と思料しその余を却下する。
五、よつて申請人の本件仮処分申請につき主文のとおりとし訴訟費用につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 木下忠良 戸田勝 鈴木弘)